「つながらない権利」をどう受け止めるか ― 休日のLINE一通から考える、職場の連絡ルール

更新日:6 日前
はじめに
ホテルの支配人、飲食店の店長、料理長、ホールチーフ。責任ある立場の人ほど、休日や深夜に電話が鳴ることを「仕事の一部」として受け入れてきました。
一方で、入ったばかりの社員や、週に数回だけ入るアルバイトから見ると、同じ場面がまったく違って見えます。休みの日に店長からLINEが届いただけで、返信したほうがいいのか、既読をつけるべきなのか、迷う人は少なくありません。
2026年秋、この問題が国の審議会で正面から取り上げられました。いわゆる「つながらない権利」です。
1. 公的な議論はどこまで進んでいるか
2026年10月14日、厚生労働省の第212回労働政策審議会労働条件分科会で、勤務時間外の連絡に関する論点が取り上げられました。
事務局資料の問いかけは、次のような趣旨です。
勤務時間外の連絡について、労働者が安心して休息できるという観点から、各企業が実態に応じて業務上の連絡ルールを明確化することをどう考えるか。
ここで押さえておきたいのは、この資料が法律改正案ではないという点です。勤務時間外の連絡を禁止することが決まったわけではありません。法律による規制を設けるのか、企業ごとのルール整備を促すのかなど、対応のあり方が議論されている段階です。
労使と公益委員からは、次のような意見が出ています。
労働者側:法制化も検討すべきいつ連絡が来るか分からない状態そのものが、休息を妨げると指摘しています。また、勤務時間外の連絡は顧客や取引先からも発生するため、企業内のルールだけでは限界があり、社会全体の理解も必要だとしています。
使用者側:法律による一律規制には慎重勤務時間外の連絡は、仕事の進め方や会社の指揮命令権に関わる問題です。まずは、現行のテレワークガイドラインに示されている時間外メールの抑制やシステムへのアクセス制限などを周知すべきだとしています。
公益委員:企業だけでなく社会全体で対応すべき顧客や取引先からの過度な時間外連絡が、カスタマーハラスメントにつながる場合もあると指摘しています。
こうした意見を踏まえ、今後は、勤務時間外の連絡に応じなかったことを理由とする不利益取扱いを禁止するのか、労使協議や社内ルールの策定を義務付けるのか、それとも行政の指針による対応にとどめるのかが、議論の焦点となります。
2. 「つながらない権利」とは何か
議論に入る前に、言葉の中身を確認しておきます。
「つながらない権利」は、休日の電話やメールを拒否できる、という単純な話ではありません。実際には、少なくとも3つの別々の論点が重なっています。
① 連絡自体の規制
勤務時間外に、メール、チャット、LINE、電話を送ることをどこまで制限するか。
② 応答義務と不利益取扱い
休日に返信しなかった労働者を、評価や処分の上で不利に扱えるか。応答を拒否した人に、懲戒や低評価を課せるか。
③ 労働時間の認定
即時応答や待機を求められた時間、実際に対応した時間を、労働時間としてどう評価するか。
混同しやすいのは、「時間外の連絡禁止」と「時間外連絡に応答しない権利」は同じものではないという点です。送信を禁止するかどうかと、受信者に応答義務を課すかどうかは、別々の問題です。
3. 裏側にある義務
「つながらない権利」をめぐる議論は、裏側にある義務との調整を抜きには進みません。
労働者本人が負う義務は、契約の形や職責によって成立するかが異なりますが、少なくとも次のものが背景にあります。
労務提供義務(契約で引き受けた仕事を遂行する義務)
業務命令遵守義務
信義則上の誠実義務
報告義務(業務上必要な事実や異常を伝える義務)
緊急時対応義務(契約・職務・法令に基づき引き受けた範囲で)
事故防止・損害拡大防止義務
管理監督者としての職責(組織管理、部下の安全確保、事故報告など)
アルバイトとして採用された人が、店長と同じ緊急対応義務を負うことはありません。ただし、雇用契約を結んでいる以上、一定の義務は生じます。「権利」の側だけで議論を進めるわけにはいかない、というのが出発点です。
4. Q&A ― ボーダーラインを裁判例から考える
ここからは、よくある場面をQ&A形式で取り上げます。
Q1. アルバイトのAさんから、「店長が休日にLINEをくれるけれど、返したほうがいいんでしょうか」と相談されました。店長はまったく悪気がなく、むしろ親しみを込めて送っています。これは問題になりますか。
A. 送信すること自体が違法になるかについて、裁判所が一般的な基準を示した判決は、今回確認した範囲では見当たりませんでした。ただし、関連する裁判例が参考になります。
損保ジャパン調査サービス事件(東京地裁 2008年10月21日判決)
従業員が、上司から威圧的な言動を受けたなどとして損害賠償を請求した事件です。
裁判所は、上司が従業員の採用面接から関わっており、両者は通常以上に親しく、従業員の側から上司に直接メールすることもあったという関係性を事実として認定しました。その関係性なども踏まえ、問題とされた言動が主張どおりの態様で行われたとは認められないとして、請求を退けました。
この判決が示しているのは、「上司・部下」という形式的な関係だけでなく、実際にどのように交流していたかが、紛争になったときの事実認定に影響するということです。
店長にとっては、普段から親しく接しているアルバイトへの何気ないLINEかもしれません。しかし、アルバイト側も同じように感じているとは限りません。
普段の関係性は、確かに裁判でも判断材料になっています。ただし、親しくしているように見えても、アルバイトが「店長だから返信しなければ」と考えている可能性はあります。
送る側の親しみと、受け取る側の気持ちが必ずしも一致しない。この違いは、店長や管理職が意識しておきたいところです。
Q2. ホテルの支配人として、深夜の設備事故や食中毒の初動対応に備えて、常に携帯を持っています。これは労働時間になりますか。
A. 「携帯を持っている」というだけでは、ただちに労働時間とはいえません。受け手側の状態を3段階に分けて考えると、見通しやすくなります。
第1段階:連絡可能な状態にあること携帯を持っていて、着信を受けられる状態にあるだけの段階。この段階だけであれば、労働時間性は原則として否定される方向です。
第2段階:応答が義務付けられていること着信から一定時間内に折り返す、休日も電話を監視するなど、行動の自由が制約される段階。待機場所の指定、応答までの制限時間、飲酒・外出制限、対応頻度などによっては、待機時間自体が労働時間となる可能性があります。
第3段階:実際に業務を遂行すること事故への指示、従業員への連絡、顧客対応、システム復旧などを行う段階。使用者の指揮命令下で行われれば、労働時間となり得ます。
労働時間の判断について、最高裁は、三菱重工業長崎造船所事件(2000年3月9日判決)で、使用者の指揮命令下に置かれているかどうかを客観的に判断するという基本的な考え方を示しています。
また、大星ビル管理事件(2002年2月28日判決)では、警報や電話への対応を義務付けられていた仮眠時間について、労働時間に当たると判断しました。
ただし、これらの判決を休日のオンコールにそのまま当てはめられるわけではなく、実際の拘束状況などを踏まえた判断が必要です。
実務的には、支配人・料理長・設備責任者のような立場であっても、
当番制なのか、常時なのか
対応頻度はどの程度か
応答義務の時間はどう設定されているか
対応時間の申告ルールはあるか
を整理しておくと、後々の争いを避けやすくなります。
Q3. アルバイトのBさんが、シフト前日の夜に店長からLINEで「明日10時開始に変更です」と連絡を受けました。見逃していて、翌日いつもの時間に出勤したら怒られました。これは誰の責任ですか。
A. まず、勤務時間外にLINEを確認する義務があったかどうかが問題になります。また、すでに確定したシフトを変更する場合には、原則として本人の合意も必要です。この2つを分けて考える必要があります。
シフトに関する連絡方法や確認のルールが事前に明示され、本人も了承していた場合には、連絡時刻やルールの合理性などを踏まえ、本人が確認しなかったことについて責任が問題になり得ます。
一方、ルールが曖昧で、送信時刻が深夜に及んでいるなど、勤務時間外の確認を当然の前提としている場合には、使用者側の労務管理のあり方が問われることになります。
ただし、LINEで連絡することに合意していても、それだけでシフト変更そのものに同意したことにはなりません。
ここでも、「連絡を送ること」「勤務時間外に確認を求めること」「シフト変更への同意」「確認しなかったことを問責すること」は、それぞれ分けて考える必要があります。
5. おわりに ― 境界線はまだ引かれていない
2026年10月時点で、「つながらない権利」について新たな一律の法規制が決まったわけではありません。しかし、勤務時間外の連絡をめぐる問題は、すでに日々の職場で起きています。
同じLINE一通でも、送る側と受け取る側では、その意味が違って見えることがあります。また、職責や契約内容、応答を求められる状況によっても、判断は変わってきます。
だからこそ、法律による新たなルールが決まるのを待つのではなく、どのような連絡に、誰が、いつ対応する必要があるのか。自分たちの職場にある曖昧な境界線を、一度見直しておくことが大切ではないでしょうか。
参考資料・出典
1. 労働政策審議会(第212回・2026年10月14日)|厚生労働省
「つながらない権利」の在り方に関する審議資料(資料No.2-1、No.2-2)
2. テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン|厚生労働省
勤務時間外のメール送付の抑制、システムへのアクセス制限など
3. 損保ジャパン調査サービス事件|東京地裁・2008年10月21日判決
厚生労働省「あかるい職場応援団」裁判事例
4. 三菱重工業長崎造船所事件|最高裁・2000年3月9日判決
労働時間の判断基準(裁判所・判決原文)
5. 大星ビル管理事件|最高裁・2002年2月28日判決
仮眠時間の労働時間性(裁判所・判決原文)
6. いわゆる「シフト制」について|厚生労働省
シフトの作成・変更に関する留意事項、労使の合意




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