top of page
検索

飲食店の未払い残業代・未払い賃金を防ぐ労務設計|労務のあれこれ②

執筆者の写真: N S
N S
9月1日
読了時間: 13分

noteで公開している記事を、こちらにも掲載しています。


未払い賃金の問題は、いきなり法律の話として始まるものではありません。

最初は、現場の「なんとなく」の積み重ねです。

退職したスタッフから未払い残業代を請求された。労基署の調査が入った。

そうなってから考え始めると、時間もお金も消耗します。経営者もスタッフも疲弊します。

なんとなく曖昧になっているものを整理し、ルールが言語化され、きちんと運用されていれば、スタッフは安心して働きやすくなります。

そういう職場には人が定着しやすく、定着は経営上あらゆる面でプラスに働きます。

その出発点になるのが、雇用契約書・労働条件通知書・就業規則・賃金規程、そして必要に応じて作成する労使協定です。

これらは、トラブルが起きてから慌てて作るものではありません。

トラブルが起きたときに、「うちはこういうルールで運営していました」と説明できるように、何が起きるのかを想定して先に整理しておくものだと考えています。


なぜ今、これが問題になっているのか

法改正で「過去3年分」が対象に

2020年4月、民法および労働基準法の改正により、賃金請求権の消滅時効は従来の「2年」から「3年」へ延長されました。

将来的には「5年」への完全移行も検討されています。

これが何を意味するのか、少し具体的に考えてみます。

たとえば、労働者1人について月3万円の未払い残業代があった場合、3年分なら108万円。

月3万円は、毎月の感覚では小さく見えるかもしれません。

しかし未払い賃金は、過去にさかのぼって問題になります。

同じ運用を複数人にしていれば、人数分に広がります。

休憩時間や始業前の扱いが曖昧だと、後から「毎日30分、実際には働いていた」と主張されることがあります。

時給1,200円のスタッフで、1日30分の未払いが月25日分あれば、月1万5,000円。3年分なら54万円です。

これが1日1時間なら、金額は倍になります。

さらに、悪質なケースでは、裁判所が未払い額と同額の「付加金」を命じることもあります。

この請求期間も3年に延長されています。

小さなズレが、時間と人数で一気に膨らむ。

これが今の構造です。


AIが「リーガルツール」として普及した

もうひとつ、ここ数年で大きく変わったことがあります。

個人が使えるAIの普及です。

スタッフが「これは未払い残業代ではないか」「いくら請求できるか」とAIに入力すれば、法律用語が並び、請求額らしき数字が返ってきます。

文章は整っています。

読んだ本人は、「やっぱり自分は正しかった」と感じやすい。

ただ、AIの回答は法律判断そのものではありません。

就業規則や実際の勤務実態を総合的に確認しなければ判断できないことを、AIは断片的な情報をもとに、入力者に寄り添う形で答えていることがあります。

AIの回答を持って強く主張してくるケースは、確かに増えています。

でも、見るべきなのは、AIの文章ではなく、事実です。

・労働時間をどう把握していたのか。

・休憩時間を本当に確保していたのか。

・店長を管理監督者として扱える実態があったのか。

・固定残業代は、基本給部分と割増賃金部分を明確に分けていたのか。

こうした点について、雇用契約書・労働条件通知書・就業規則・賃金規程・タイムカードなどをもとに、業務の実態をきちんと説明できる状態にしておく。

そうすれば、AIの回答に振り回されずに済みます。

いまは、スタッフのスマートフォンには位置情報が残ります。

LINEやチャットには業務連絡の時刻が残ります。

POSレジや勤怠アプリには操作履歴が残ります。

だから会社側も、「実際にはどう運用していたのか」を説明できる記録を残しておく必要があります。


飲食店が特にリスクを抱えやすい理由

飲食店には、賃金トラブルの争点になりやすい要素が、日常のあちこちに潜んでいます。

開店前の準備、閉店後の片付け、仕込み、清掃、着替え、朝礼、レジ締め、発注、休憩中の待機、シフトの作成と変更、長時間労働、名ばかり管理職、固定残業代、店長手当。

現場では「当たり前の運用」として流れているものが、後から争いになれば、そのまま未払い賃金の争点になります。


就業規則をととのえる

まず前提として、雇用契約書を作成し、労働条件通知書をきちんと渡しておくことが必要です。

就業規則や賃金規程は、その前提を受けて、店全体のルールとして整理するものです。

ここからは、就業規則や賃金規程で特に整理しておきたい点を見ていきます。

「店長手当」の支給理由を、言葉にできているか

「店長だから月3万円」「責任者だから手当をつける」という発想は、現場感覚としては自然だと思います。

でも、賃金規程の視点では、ここを曖昧にしておくと、後で説明がつかなくなります。

特に気をつけたいのが、役職手当と残業代の関係です。

「店長手当を払っているから、残業代は含まれている」という感覚で運用していると、トラブルになったときに会社側の説明が崩れます。

飲食店の店長は、名前は店長でも、実際にはシフトに入り、接客し、調理し、レジを締め、スタッフの穴を埋めていることが多いです。

そういう実態があれば、「店長だから残業代はいらない」という理屈は、なかなか通りません。

役職手当については、少なくとも以下の点を曖昧にしないほうがよいです。

・役職手当は何の対価なのか。

・その役職の業務の範囲に対するものなのか。

・残業代や深夜勤務を含むものなのか。

口約束や、その場の感覚で済ませていると、揉めたときに説明しづらくなります。

役職手当は、役割と金額を規程で固定しておくことが必要です。


固定残業代を「魔法の言葉」にしない

「残業代込み」と書けば有効になるものではありません。

特に重要なのは、基本給部分がいくらで、固定残業代部分がいくらなのかを明確に分けることです。

たとえば、「月給25万円・残業代込み」とだけ書いていても、そのうちいくらが通常の労働に対する賃金で、いくらが時間外労働に対する割増賃金なのかが分かりません。

この状態では、固定残業代として認められないリスクが高くなります。

さらに、固定残業代が何時間分の時間外労働に対応するのか、実際の割増賃金額が固定残業代を超えた場合に差額を支払うことも、明確にしておきたいところです。

きちんと運用できないなら、使わないほうが安全なケースもあります。

一方で、開店前の準備や着替えなど、労働時間として扱われ得る時間が日常的に発生する店舗では、その実態を踏まえて固定残業代を設計しておくことが有効な場合もあります。

何時間分を固定残業代として支払っているのかを明確にしておけば、スタッフにとっても分かりやすくなります。

後から争いになった場合にも、会社側が説明しやすくなります。


「労働時間」の境界線を、会社が先に引く

飲食店には、労働時間かどうか分かりにくい時間が多くあります。

開店前の掃除や仕込み、制服への着替え、朝礼、閉店後の片付け、レジ締め、休憩中の電話番や待機時間。

難しいのは、スタッフが悪気なく早く動いてしまう場面です。

「仕事が多いから、早めに始めた方が楽だから」

「今日はお客様が多くて忙しそうだから」

「新人だから、早めに準備しておきたいから」

こうした理由で、予定より早く動き始めることがあります。

逆に、閉店後に善意で残って、片付けや確認をしてくれることもあります。

現場としてはありがたいことです。

だからこそ、曖昧なまま放置すると、後から問題になりやすい。

会社が黙認していたり、実際にその時間の作業が業務上必要だったりすれば、後から労働時間と評価される可能性があります。

「勝手にやったのだから……」と割り切りたい気持ちも分かりますが、法律上はそうもいかないのがもどかしいところです。

一方で、単に「まだ時間じゃないからやらないで」「勝手に残らないで」と突き放すだけでは、新人や真面目なスタッフには冷たく受け取られることもあります。

だからこそ、会社側が先に境界線を引いておく必要があります。

業務時間内に終わるはずの作業なのか。

忙しいから出勤時刻を前倒しする必要があるのか。

前倒しするなら、誰が依頼し、本人が承諾し、勤怠上どう記録するのか。

許可のない早出・居残りを見つけたら、その場でどう確認するのか。

就業規則では、労働時間と休憩時間の定義をきちんと定めておきたいところです。

・所定労働時間・始業時刻・終業時刻とは何か。

・休憩時間とは何か。

・出退勤時刻は、本人が会社所定の方法で記録すること。

・時間外労働は、会社の命令または許可に基づいて行うこと。

こうした基本を、先に言葉にしておくことが大切です。


変形労働時間制——繁閑に合わせた設計と、その落とし穴

平日は閑散、週末は予約で満席。

この繁閑差が大きい飲食店では、毎日一律に8時間で設計すること自体が、実態に合っていないことがあります。

通常のルールでは、1日8時間・週40時間を超えれば残業代が発生します。

なお、労働者が10人未満の店舗では、週44時間特例が認められる場合があります。

一方で、変形労働時間制を使えば、一定期間を平均して法定労働時間内に収まる設計にすることで、特定の日に8時間を超えても、直ちに残業代が発生しない運用が可能になります。

飲食店にとって、変形労働時間制は、人件費の適正化と労働生産性の向上を両立させやすい制度です。

ただし、行政調査や紛争の場面では、真っ先に確認されやすいポイントでもあります。

制度を使っているのに、シフトの決め方や運用が要件を満たしていなければ、かえって未払い残業代のリスクが大きくなります。

うまく使えば強い武器になりますが、運用のハードルが高いのも事実です。

飲食店にとって、変形労働時間制はまさに「事前の丁寧な設計」が命になる制度です。


飲食店で主に使われる二つの制度

飲食店で検討されることが多いのは、「1ヶ月単位の変形労働時間制」と「1週間単位の非定型的変形労働時間制」です。

どちらも、忙しい日に長めに働いてもらい、落ち着いている日を短くすることで、繁閑に合わせた働き方を作るための制度です。

通常であれば、1日8時間を超えて働かせた時点で時間外労働となり、割増賃金の対象になります。

しかし、変形労働時間制を正しく設計しておけば、あらかじめ定めた範囲内で、8時間を超える勤務があっても、割増賃金を支払う必要はありません。

1ヶ月単位の変形労働時間制は、1ヶ月以内の期間で労働時間を平均して見る制度です。

飲食店では、こちらを検討する場面が多いと思います。

規模制限がなく、10人未満の飲食店に認められる週44時間特例とも組み合わせやすいからです。

一方、1週間単位の非定型的変形労働時間制は、翌週の予約状況などを見ながら、週ごとに労働時間を組み立てやすい制度です。

ただし、使える事業場の規模や1日の上限時間などに制限があり、週44時間特例とも併用できません。

そのため、便利そうに見えても、実際に採用できる店舗は限られます。

そして、どちらの制度でも、「あらかじめ勤務日と労働時間を決めておく」という要件を満たすことで成り立ちます。

ここを曖昧にすると、制度そのものが否定されることになります。


運用を誤ると制度ごと無効になる

変形労働時間制は、設計・運用を誤ると制度が無効になり、未払い残業代のリスクが一気に膨らみます。

紛争になりやすいポイントは、大きく三つあります。


ポイント1:シフトの「事前確定」ができていない

変形労働時間制の根幹は、期間が始まる前に勤務日と各日の労働時間を確定することにあります。

月初から「今日は忙しいから長く」「明日は暇だから早く」と場当たり的に調整する運用は、制度の前提を壊してしまいます。

これは感覚的な話ではなく、実際に裁判で制度を無効とされた事例があります。

日本レストランシステム事件、東京地裁・2010年では、洋食レストラン「洋麺屋五右衛門」のアルバイトへの変形労働時間制の適用が問題になりました。

店側は1ヶ月単位の制度を導入していましたが、実際には「半月分しかシフト表を作っていませんでした」。

裁判所は、変形期間全体のシフトを事前に確定していない以上、制度の法的要件を満たさないと判断し、制度を無効としました。

「半月でも作ってあればいいのでは」と思うかもしれません。

でも、1ヶ月単位の制度である以上、1ヶ月分を期間開始前に確定していなければ、制度としての効力は認められませんでした。

もう一つ、日本マクドナルド事件、名古屋地裁・2022年も示唆が多い事例です。

就業規則には4つのシフトパターンしか定めていなかった一方で、各店舗では実際に約200種類のシフトを組んで運用していました。

裁判所は、就業規則に記載のないパターンは「事前に具体的に特定した」とは認められないとして、制度を無効としました。

大企業であっても、就業規則への全パターン記載は免除されないという判断です。

飲食店の現場では、日々の状況に合わせて臨機応変にシフトを回さざるを得ないことが多いと思います。

しかし、その『柔軟さ』が、皮肉にも制度無効の根拠になってしまいます。

無効になると、過去分について通常の1日8時間・週40時間基準で、残業代を再計算されることになります。

だから、変形期間が始まる前に、1ヶ月分の勤務日・労働時間を書面で確定し、従業員に通知しておく。

就業規則にも、シフトのパターンと作成・通知の手続きを具体的に書いておく。

まずここから整えておきたいところです。


ポイント2:確定後のシフトを会社都合で変えている

いったん確定したシフトを、会社の都合で一方的に変更することは、制度の前提を壊します。

逆に、会社都合でシフトを削減した場合には、休業手当、つまり平均賃金の60%以上の問題が生じることもあります。

どちらの方向でも、確定後の変更は紛争の火種になりやすいです。

シフト変更が必要な場合のルール、つまり変更できる事由・手続き・通知期限を就業規則に明記しておくこと。

変更の記録はすべて残しておくこと。

この二つが大切です。


ポイント3:残業代の計算を「月の合計」だけで判断している

変形労働時間制でも、残業代が発生しないわけではありません。

計算は、日単位・週単位・月単位の3段階で判定する必要があります。

月間の総労働時間だけで「大丈夫」と判断すると、日単位・週単位で発生している残業を見落とすことになります。

深夜割増・休日労働・36協定の上限管理も、制度を使っていても別途必要です。

それから、「事後相殺」にも注意が必要です。

予定外に長く働いた分を「別の日に早く帰らせて帳消しにする」という運用は、違法になり得ます。

制度は、あらかじめ定めた枠の中で繁閑を調整するものです。

実績が出てから事後的に帳尻を合わせる仕組みではありません。

変形労働時間制を使うなら、月の合計時間だけを見るのではなく、日・週・月の三段階で確認すること。

予定外に長く働いた分を、後から別の日で帳消しにしないこと。

ここを外すと、せっかく制度を入れていても防衛になりません。

設計を先に、紛争を後にしない

労務トラブルは、認識のずれから発生することが多いです。

曖昧なまま放置されているルールを言語化して、経営者もスタッフも「うちはこういう考え方で動いている」と理解できる状態にする。

それが紛争を未然に防ぎ、スタッフが安心して働ける環境を作ります。

スタッフが定着すれば、採用コストが下がり、現場が安定し、利益の出る経営に近づきます。

就業規則や賃金規程は、そのための設計図です。

雇用契約書・労働条件通知書で、採用時点から条件を文章にして相互共有しておく。

就業規則・賃金規程で、どこから賃金が発生するのか、手当は何の対価なのかを先に決める。

変形労働時間制を使うなら、就業規則や労使協定で制度の前提を整え、シフトを事前に確定し、変更があれば記録を残す。

ただし、現場で運用できない規程は続きません。

その店の人員、営業時間、仕込み、片付け、シフトの組み方と切り離されたルールは、結局、形骸化してしまいます。

大切なのは、現場の動きと、言葉にしたルールがきちんとつながっていることです。


ご相談やお問い合わせは、画面右下のチャットもしくはお問い合わせフォームからお気軽にお送りください。

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
bottom of page